日立市立東小沢小学校の概要

ページID1007765  更新日 令和6年2月16日

印刷大きな文字で印刷

日立市立東小沢小学校の概要について紹介します。統合校の校歌や校章のアイデアを考えるための参考としてください。

地勢・位置

地図:東小沢小学校の位置

写真:東小沢小学校1

写真:国道6号


  • 常磐線大甕駅より南西へ4kmの距離。
  • 常磐自動車道日立南太田ICの近く。
  • 久慈川下流の低地に位置する。

学校周辺の東西南北

写真:太平洋
東側には太平洋
写真:田園地帯
西側には田園地帯が広がる
写真:久慈川
南側には太平洋に注ぐ久慈川
写真:阿武隈高地(あぶくまこうち)の一部多賀山地
北側には阿武隈高地(あぶくまこうち)の一部多賀山地を臨む

学区の特色

学区は、旧東小沢村と大和田町の一部からなり、行政上の町名としては神田町、下土木内町、留町、大和田町が含まれる。

写真:東小沢小学校2

写真:田んぼと家


久慈川の作った沖積平野(ちゅうせきへいや:山地から河口にかけて河川が運搬してきた土砂が堆積した平野)で標高は約5m以下のところがほとんどで、その肥沃(土地が肥えていて作物がよくできること)な土地を利用して、コメや野菜などを生産している農家が多い。

学校、家庭、地域が連携した教育活動容

東小沢小学校・地区市民大運動会による三世代交流

写真:三世代交流1

写真:三世代交流2

久慈川の環境を守る会による菜の花エコネットワーク推進事業

写真:菜の花畑

写真:菜の花畑と太鼓

創作太鼓「菜風蓮」(さいふうれん)

写真:「菜風蓮」(さいふうれん)

沿革

明治6年

納場にあった寺子屋を仮校舎として下土木内小学校を開校

明治7年

久保に公有の学校を創設し開校

明治15年

留小学校が開校

明治19年

下土木内小学校を神田尋常小学校に改称

大正5年

現在地に神田、留両尋常小学校を合併し、高等科併置東小沢尋常高等小学校となる

昭和2年

校舎改築

写真:昭和2年の校門と橋
校舎改築時に寄贈された校門と橋の当時の写真
写真:現在の校門と橋
現在の写真

昭和16年

久慈郡東小沢村立東小沢国民小学校となる

昭和22年

久慈郡東小沢村立東小沢小学校と東小沢中学校に分離する

昭和30年

日立市との合併に伴い日立市立東小沢小学校となる

昭和31年

日立市立東小沢中学校は久慈中学校と統合のため閉校となり、校舎は東小沢小学校が使用する

昭和38年

校歌制定

昭和44年

校訓制定

「希望に燃えてよく考える子 がまん強く親切な子 よく働きじょうぶな子」

写真:校訓の石碑

昭和50年、52年、53年、58年

  • 校舎A棟完成
  • プール完成
  • 体育館完成
  • 校舎本館、B棟完成

写真:校舎A棟

写真:校舎本館

学校名の由来について(諸説あり)

常陸太田市に西小沢地区と呼ばれるところがありますが、十二世紀ごろ、この地域は小沢郷と呼ばれていました。この小沢郷が二つに分かれて上・下の名称を付けようとした時、下小沢と命名される方で大反対がおこり、現在のように東西の小沢で収まったと言います。

小沢とは「常陸国誌」に古沢野とありますが蘆萩繁茂(ろてきはんも:背の高いアシや低木のハギなどが生い茂っている様子)した沢のような湿地といわれています。

明治22年に留村、神田村、下土木内村が合併し、東小沢村が誕生します。(アシ:高さ2~3mになり、沼や川の岸に群生する。ハギ:低木で小さな葉を持ち山野に生息する。)

その際、神田尋常小学校を東小沢尋常小学校と改称しましたが、大字神田に設置されていたことから期日は定かではありませんが神田尋常小学校に再び改称しています。

その後、大正5年に現在地に神田、留両尋常小学校を統合し、高等科併置して、久慈郡東小沢村立東小沢尋常高等小学校が開校し、現在までに学校名(東小沢)が使用されるようになります。

校歌

写真:東小沢小校歌 楽譜

実際の校歌は次のリンクから聞くことができます。

校章

写真:校章 白黒

写真:校章 カラー

このページについて、ご意見をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか。
このページの内容は分かりやすかったですか。
このページは見つけやすかったですか。


このページに関するお問い合わせ

教育委員会 学校再編課
所在地:〒317-8601 茨城県日立市助川町1-1-1 本庁舎3階
代表電話番号:0294-22-3111(内線:645、644)
IP電話番号 :050-5528-5130
ファクス番号:0294-21-7740
教育委員会学校再編課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。