【シリーズ・ふるさと日立大使 Interview】関 あつしさん

ページID1007670  更新日 令和6年2月19日

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関 あつし/漫才師

写真:インタビュー時の関さん
人生最期まで漫才師でいるためにチャレンジし続けたい

市では、日立市出身または日立市にゆかりがあり、芸能やスポーツなどさまざまな分野で活躍する方を「ふるさと日立大使」として委嘱しています。

このシリーズでは、大使の皆さんをお一人ずつクローズアップしてご紹介します。

今回ご登場いただくのは、漫才師の関あつしさん。漫才師のみならず、絵本作家としても、活躍されている関さんに漫才師や絵本作家になったきっかけや日立市への想いなどについて伺いました。

人に笑って、喜んでもらえる仕事って“めっちゃいい”

お笑いの世界を目指したきっかけを教えてください。

高校3年生のとき、学園祭の出し物が決まらなかったので、クラスのみんなで映画を作ったらいいんじゃないかと提案したんです。映画だったら、当日は上映するだけで済むから、他のクラスの出し物を見て回って学園祭を楽しめると思って。

そうして、「君を待たせない」というモテない男子が主人公の映画を作ることになったのですが、誰もモテない男子は演じたくないってことで、結局、監督、脚本、主演、動画の編集まで言い出しっぺの僕がやる羽目になってしまったんですけどね(笑)

学園祭の当日は、自分が笑いを狙ったシーンで笑いが起きたり、上映会に来た人に面白かったよと言われたりすることが嬉しくて、結局一日中会場に張り付いていました。

もともと僕は、人前で話すことや目立つことが苦手だったのですが、その時に、こうやって人に笑って、喜んでもらえる仕事って“めっちゃいいな”って思ったんです。

思い出作りのつもりが、本気でお笑いの道へ

お笑いが好きだったこともあり、高校3年生の時に「ノリ」でテレビのオーディションを受けて深夜番組に出演したことがあるんですよ。3人組で出演して、そこで思い出作りぐらいにしか考えていなかったんですが、その番組に一緒に出演していた方から、これからお笑いライブをやるから出てほしいとオファーがあり、大学生になってからも月に1回、お笑いライブに出演していました。

そんなことがあって、大学を卒業するときには、「本気で芸人やってみよう!」と、お笑いの道に進むことを決めました。

「母心」の相方、嶋川さんとの出会い

どのようなきっかけで、コンビを結成されたのですか?

僕は吉本興業の、ある地方のお笑い大会で優勝したのをきっかけに吉本に入り、嶋川さんが座長をしていた吉本弁当座の一員になりました。

嶋川さんの印象は、“Theリーダー”っていう感じでしたね。当時の彼は、真面目で、よく怒っていたし、お互い良い印象は持っていなかったと思います(笑)

即席コントが縁でコンビ結成!

ある時、弁当座の公演で、僕と嶋川さんともう一人の先輩の3人組で即席コントを作るという企画があったんです。嶋川さんが、巌流島のコントを書いてほしいと言うので、武蔵と小次郎が対決する時に、「武蔵のお母さんがモンスターペアレントだったら」というコントを考えました。

このコントでは、嶋川さんに女装してもらいお母さん役をやってもらったんですが、その時の嶋川さんの“オカンキャラ”がすごく面白かったんです!僕の作ったこのコントのクオリティを120%にまで引き上げてくれた感覚があって、苦手意識はあったけど「この人すごいかも!?」って思ったんです。

嶋川さんの方はと言うと、コントネタでそこまでウケたことがなかったから、なんでこんなに笑いが起こるんだって驚いていたそうです。

その後、嶋川さんと飲みに行ったときに、僕の方から「コンビ組みませんか?」って誘ったのが「母心」のはじまりです。嶋川さんの「オカンキャラ」の誕生とともに、コンビ名も「母心」となりました。

写真:常陸多賀のかどや寄席で漫才をする「母心」
「母心」の漫才は、常陸多賀の「かどや寄席」でも大人気!

人生最期まで漫才師でいたい!

絵本作家としても活動されてますね。デビューのきっかけは?

元々、絵を描くことが好きだったので、いつか絵本を出したいという思いはありました。

40歳になったとき、嶋川さんとおぼん・こぼん師匠(※)のように、いつまでも第一線で漫才を続けるためには、新ネタを作り続ける必要がある。だから、40代は「自己投資」して行こうって話をしていたんです。

それで、嶋川さんは政治家(富山県議会議員)に、僕はイラストを描いたり、特撮映画を作ってみたりとか、いろいろやりたいことにチャレンジし始めたんです。

その一環で、デジタル絵本をX(旧Twitter)で発表したり、kindle版の電子書籍を2冊出したりしました。また、絵本作家を応援する企画をやっていた会社を通じて、紙の絵本を作成し、受注販売などにもチャレンジしました。

(※)1965年に結成した漫才コンビ。

写真:らっかせい鳥の生態 表紙
絵本作家デビュー作「らっかせい鳥の生態」
写真:あれなんじゃ? 表紙
電子書籍「あれなんじゃ?」

漫才師としての今後の目標は?

最終的には、自分たちの様々な経験を漫才で表現できたらいいなと思っています。僕は、人生最期まで漫才師でいたいと思っているので、お互いが経験した話をネタに、おじいちゃんになってからもずっと新しい漫才がしたいですね。

おぼん・こぼん師匠のように、ずっと舞台に立っていられたら格好いいなと思います。

離れて実感!日立の良いところ

日立市の良いところは?

かみね公園が“めっちゃ”好きなんですよ。小さい頃から何度も行ってますし、それこそ嶋川さんも連れていきました。動物園や遊園地が身近にあるっていうのは、地元の人からすると当たり前だと思うかも知れないですが、日立を出てからすごく恵まれた環境にいたんだなと思いますね。

ランドセルが無料でもらえることも当たり前だと思っていましたから。

ふるさと日立大使に就任した感想は?

僕と岡部磨知さん(ふるさと日立大使)が、ナビゲーターを務めるWEB動画「ひたち☆スタイルで行こう!」という日立市の魅力を紹介する番組で、毎回ふるさと日立大使の方をゲストとしてお呼びするんです。その番組では、「いつになったら僕をふるさと日立大使にしてくれるんですか?」ってずっと言い続けてきたので、夢がかないました。就任後は、そのネタは使えなくなってしまいましたが、両親や同級生がとても喜んでくれて、それが一番嬉しかったです。

ふるさと日立大使としての活動の抱負は?

以前、同じく大使の上妻宏光さん(三味線奏者)とお話しする機会があったんですが、ふるさと日立大使が集まって、ピアノや三味線、漫才などのイベントを開催し、市民の皆さんに各大使の活動を知ってもらう機会を作りたいですね。いろんな方面で活躍されている大使が集まって、年に1回でもイベントを開催すれば、大使同士のつながりもできるし、ふるさと日立大使としての活動が、もっと活発になると思いますね。

若者が挑戦できるまちに!

最後に、日立市への想いをお聞かせください。

若者が主役となって活躍できるまちになってほしいですね。

若者には自由にやりたいことに挑戦させてあげて欲しいし、失敗したとしても日立市にはフォローしてくれる大人が周りにたくさんいるというような環境を作ってもらいたいと思います。

今はちょっと元気ないかもしれないけど、逆に新しいことを始められるチャンスと捉えて、日立市は若者がチャレンジできるまちって認識してもらえれば、まち全体がもっと元気になっていくんじゃないかと思います。

イラスト:豊浦小学校創立150周年記念イベントで作成
豊浦小学校創立150周年記念イベントで作成したイラスト

Profile

関 あつし (日立市出身)

2008年、嶋川武秀さんと漫才コンビ「母心」を結成。2012年、一般社団法人漫才協会に入会する。

2014年、「漫才新人大賞」を受賞。2019年、漫才大会第50回記念特別公演「漫才協会王座決定戦」で優勝する。

国立演芸場主催の花形演芸大賞では、2012年に銀賞、2022年に金賞を受賞。

2021年、「らっかせい鳥の生態」で絵本作家デビュー。マルチな活動を展開している

写真:漫才や日立への想いを熱く語る関さん

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