【シリーズ・ふるさと日立大使 Interview】松永K三蔵さん)

ページID1016562  更新日 令和7年5月9日

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松永K三蔵/芥川賞受賞作家

写真:インタビュー時の松永K三蔵さん
インタビューでも久慈浜での思い出を語る松永さん

今回の「ふるさと日立大使Interview」シリーズにご登場いただくのは、2024年に第171回芥川賞を受賞した作家の松永K三蔵さん。

2025年4月1日に「ふるさと日立大使」に就任した松永さんに、創作活動や純文学に対する想い、子どもたちへ伝えたいことなどを伺いました。

松永さんのペンネームの由来はなんですか?

三蔵は祖父の名前です。僕に文学を教えてくれた母が敬愛する祖父の名を引き継がせてもらいました。松永は親族の名字を借りました。Kはミドルネームですね。親族にKのイニシャルが多かったのでつけました。

作家を志すきっかけは?

中学2年生の時に母からドストエフスキーの『罪と罰』を薦められて読んだことがきっかけです。

世界の深遠さとエネルギーを文学を通じて体験しました。それはもう、自分の価値観が一変する衝撃を受けましたね。読んですぐに自分も書きたいと思って、翌日ノートを買いに行ったことを覚えています。それからずっと書き続けて、大学卒業ぐらいから賞に応募し始めました。

作家と会社員の「二足のわらじ」で、活動されていると伺いました。

やっぱり「書いていて楽しいから、おもしろいから」続けられるんだと思います。

執筆は1日のスケジュールが始まる前の朝にしています。休日は妻と娘が寝ている間に。よく「それは偉いですね」と言われるのですが、楽しいから苦にならないです。前の晩、寝る時に明日の朝に書けると思うと楽しみで仕方ないですね。

2025年春から仕事は辞め、作家活動に専念しますが、書くことに集中できることが今から楽しみです。

写真:日立市の風景を眺める松永さん
日立市の風景をどう感じているのでしょうか…

芥川賞を受賞した時は、どんな気持ちになりましたか?

感謝、嬉しさ、それはもちろんあったのですが、自分の中では「繋がった」という気持ちになりました。

14歳の時に母から「ドストエフスキー」を渡されて文学に目覚め、生きる指針が与えられました。そのおかげで、これまでいろいろなことを乗り越えて来られました。自分には「文学」がある、と。

選考会当日は出発前に母の墓前で手を合わせました。

受賞して関西に戻り、再び母の墓前で手を合わせました。あれから30年、読書家だった母からの想いに、少しだけ恩返しができたように思えました。そして日立の地に眠る祖父、祖母のお墓にも報告に行きました。それは家族みんなの想いが繋がった瞬間でした。

芥川賞では初となる「山岳小説」での受賞となりましたが、テーマを山にした理由は?

近くに山がある場所に住んでいて、趣味で山を登ります。山登りはレジャーとして楽しむために行っているのですが、歩いているとどうしても仕事のこととか、まちでの出来事とかいろいろと考えてしまう。遊びのつもりで来ているのに結局、日常を引きずってしまう…そこに面白さを感じて小説のテーマにしました。

松永さんが提唱されている「オモロイ純文運動」ってなんでしょうか?

よくぞ聞いてくれました!

「オモロイ純文運動」とは、純文学はひらかれていて、オモロイのだということを世間の皆さんにわかってもらう文学運動です。僕がひとりで続けている運動なのであまり広まっていないのですが(笑)。

特に子どもたちに伝えたいのですが、ゲームや漫画もおもしろいから続けたくなるじゃないですか。それと同じような経験を、小説でも純文学でもしてもらいたいんです。

純文学は、人間とは何なのか、世界とは何なのか、なぜ生きているのか、という本質的な哲学を描くもの。

子どもたちも成長して思春期になって、そういう本質的な問題に直面する。純文学は、そういう問題について、難しくなく、おもしろく、楽しみながら考える経験ができるものだと思っています。

それが純文学のおもしろさなんですね。

そうですね。これは大人も一緒で、思春期にいわゆる青臭い問題に触れ、大人になっていく。でも誰も答えは見出しておらず問題というのは死ぬまで付きまとっている。もしかしたら人生の中で何かをきっかけにそういう問題にまた向き合うことがあるかもしれない。そういう時に触れて欲しいのが、「純文学」なんです。

写真:オリジナルTシャツを披露する松永さん
松永さんが作成したオリジナルTシャツ!

松永さんは子どもの頃、毎年夏は日立市を訪れていたそうですね。

久慈浜によく遊びに来ていました。久慈浜は自分にとっての「原風景」。海水浴に行って、波の強さを体全体で感じて、瀬戸内の海とはまた違う海を体験するのが楽しかったです。

高校時代はひとりで久慈浜周辺を散歩して、海を眺めて、だだっ広い水平線に独特な雰囲気を感じていました。多感な子ども時代に見た風景だったので、すごく印象に残っています。

 

写真:久慈浜海水浴場で遊ぶ幼い頃の松永さん(写真左)
久慈浜海水浴場で遊ぶ幼い頃の松永さん(写真左)
写真:幼少期の松永さん(右端)
右端に立っているのが幼少期の松永さん

日立市を題材にした作品の執筆予定はありますか?

いずれは書きたい、書かなくてはならないと思っています。自分で日立市のまちや人々、生活、風土などを感じて、そこから自分は何を思うのか。感じたものが染み出して創作や物語として組み立てていければと思います。

松永さんの創作活動の源は?

僕の場合はドストエフスキーから始まって、今でもいろんな文学作品に触れるたびに、やっぱりすごいな、という感動と興奮を感じ、創作のモチベーションになっています。

僕は生きることは抗うことだと思っています。純文学を通じて、そういった世界の不条理性というか、抗っている人の姿を伝えたいという想いで作品を書いています。

最後に、市民の皆さんへメッセージをお願いします。

「ふるさと日立大使」を拝命し、大変光栄に思います!

日立市は私の祖父母が暮らし、私に文学を与えてくれた母が生まれ育ったまちで、私にとってかけがえのない大切な場所です。

日立市のことをもっと知って吸収し、情報発信したり、今後の創作にも生かしていきたいと思います。これからちょこちょこ来ると思うので、ぜひともよろしくお願いします!

写真:松永さんがインタビューの日に撮影した久慈浜
松永さんがインタビューの日に撮影した久慈浜

Profile

松永K三蔵(まつながけーさんぞう) 兵庫県西宮市在住

1980年 茨城県水戸市生まれ。2歳頃まで日立市で過ごす。

1990年頃 毎年夏は母親の実家に帰省し、久慈浜海岸などで過ごした

2003年 関西学院大学文学部卒業。大学在学中から就職中も、小説を書き続ける

2021年 第64回群像新人文学賞優秀作『カメオ』でデビュー

2024年 山岳小説『バリ山行』で第171回芥川龍之介賞を受賞。茨城県特別功労賞受賞。いばらき大使に就任。

2025年 4月1日ふるさと日立大使就任。

芥川賞受賞おめでとうございます!

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