【シリーズ・ふるさと日立大使 Interview】會澤 翼さん

ページID1004643  更新日 令和6年2月19日

印刷大きな文字で印刷

會澤 翼さん/プロ野球選手・広島東洋カープ捕手

写真:會澤翼選手1

生まれ育ち、野球に出会えた日立は「僕の原点」

市では、日立市出身または日立市にゆかりがあり、芸能やスポーツなどさまざまな分野で活動する方を「ふるさと日立大使」として委嘱しています。このシリーズでは、大使の皆さんをお一人ずつクローズアップしてご紹介します。

今回ご登場いただくのは、プロ野球・広島東洋カープの會澤翼さん!

長年、広島東洋カープの正捕手として活躍し、2021年からは日本プロ野球選手会の会長も務める會澤さんに、野球にかける熱意などについて伺いました。

小学5年生から捕手一筋

野球を始めたきっかけを教えてください。

二人の兄が野球をやっていて、その影響が大きいですね。父も野球が大好きで、僕が物心ついたときからテレビでは野球中継が流れていました。生まれたときから、自然と野球をやるような環境が整っていたと思います(笑)。本格的に野球を始めたのは、助川野球スポーツ少年団(現・日立イーグルス)に入団した小学3年生の頃です。

捕手を選んだ理由は?

誰もやる人がいなかったので(笑)。小学5年生の時、少年団の捕手に抜擢されて、以後、中学、高校とずっと捕手一筋でやってきました。捕手の楽しさ、奥深さを感じるようになったのは高校生の頃です。

少年団や中学校・高校での思い出は?

少年団ではとにかく練習がきつかったということを覚えています(笑)

中里中学校では部員15人という少人数での活動で、ギリギリの人数で試合に臨んだこともありましたけど、少人数でも部員同士が協力して、工夫しながら練習に取り組んだことはすごくいい経験になったと思っています。今、かつての僕と同じ境遇の子たちもいると思いますが、今やっていることは間違っていないんだと自信を持ってほしいです。

高校時代は甲子園という大きな目標に向かって野球ができたということが財産になっています。結局、甲子園には行けませんでしたけど、一緒に戦った仲間との時間は忘れられないですね。

プロ入りが決まったときはどんな気持ちでしたか?

ドラフトで指名されたときは率直にうれしかったです。でも、まさか自分が指名されるとは思っていなかったので、正直あまり実感が湧かなかったです。

プロで味わった「衝撃」と「挫折」

いざプロに入ってみて、いかがでしたか?

プロ1、2年目の頃は、「衝撃」と「挫折」の連続で、この世界で生きていくのは並大抵のことじゃないなと感じました。プロの世界に必死に食らいついていく毎日でしたね。そんな状況の中、この世界でどうやって生きていくかということを真剣に考え始めて、そこからトレーニングにも一層力を入れるようになり、“絶対に長く野球をやってやるんだ”と大きく意識が変わっていきました。その後、2009年5月に一軍に昇格し、やっと手ごたえをつかみ始めました。

写真:會澤翼選手2
“打てる捕手”として大活躍(1)

特に印象に残っている試合は?

やはり、セ・リーグ3連覇達成が決まった試合が強く印象に残っています。

あとは、新型コロナウイルスの影響で無観客試合となったオープン戦ですね。ファンの皆さんの大声援がスタジアムに響き渡っているのが当たり前でしたから、本当にさびしかったです。ファンの皆さんがいるといないとでは、モチベーションも違ってきますし、ファンの皆さんの声援はすごく大事なんだと実感しました。

写真:會澤翼選手3
“打てる捕手”として大活躍(2)

“己に克つ”ための精神鍛錬

プロ野球の第一線で活躍し続けるために、取り組んでいることは?

オフシーズンに鹿児島市の寺院で「護摩行(ごまぎょう)」を行っています。「護摩行」とは、燃え盛る炎の前でお経を唱え、精神力を鍛え上げる修行です。300度近い炎の間近で行うので、やけどで顔は真っ赤になりますし、本当に逃げ出したいぐらい熱くて苦しいのですが、毎回修行を終えた後は、“よし、やってやるぞ!”という気持ちになります。

モチベーションをキープする秘訣はありますか?

まずネガティブな気持ちを発散するということが大事だと思っています。皆さんも同じだと思いますが、おいしいご飯を食べたり、おいしいお酒を飲んだりして、気持ちのスイッチを切り替える。そして問題・課題に立ち向かっていく。その繰り返しでやってきました。あとは、やっぱり家族の存在が大きいです。家族の存在は、野球の世界で頑張っていこうという原動力になっています。

苦しいときや辛いときに、心の支えにしている言葉などはありますか?

はい、あります。「克己(こっき)」“己(おのれ)に克(か)つ”という言葉です。

これは護摩行を行っている寺院の住職からいただいた言葉で、自分の弱い部分、甘えてしまうもう一人の自分に“克つ”。という意味です。心が折れそうなとき、自分に負けそうなときに、もう一歩踏み出す、頑張ろうという気持ちにさせてくれる言葉で、座右の銘として大切にしています。

写真:會澤翼選手4
チームを支える大黒柱として試合に臨む

日立と野球の魅力をPRしたい

ふるさと日立大使に就任した感想は?

大使として現在2期目となりましたが、最初お話をいただいた時は本当に嬉しかったです。地元に恩返しがしたいとずっと思っていましたので。

生まれ育ち、野球というスポーツに出会えた日立市は、僕の原点です。自然の中でのびのび育つことができましたし、野球というスポーツに出会えたのも、日立市に野球をできる環境が整っていたからだと思います。今後は子ども向けの野球教室を開くなど、野球と日立の魅力をPRしていきたいですね。

日立市の思い出の場所は?

「かみね動物園」です。子供の頃、母によく連れて行ってもらった思い出があります。

今回、3年振りに日立に里帰りしましたけれど、日立はやっぱり海がきれいですね。海を見ていると、すごく心が晴れやかになります。そして、日立は山もあって、すごくいいところだなぁと改めて思います。僕にも子供がいますが、海と山、両方がある日立市は、自然豊かで子育てしやすい環境だと思います。

プロ野球選手を夢見る子どもたちにアドバイスをお願いします。

今、子どもたちやスポーツを取り巻く環境が変化しています。そんな中でも、野球が好きで頑張っている子どもたちには夢に向かって野球を続けてほしいですね。辛いとき、苦しいときもあると思いますが、やり遂げた先には、勝ち負けだけでは得られないものが必ずありますから。

また、子どもたちが野球をするうえで、保護者や指導者といった大人の力は欠かせないと思います。僕自身も両親などのサポートがなければ、野球を続けるのも、プロになる夢を叶えるのも難しかったと強く感じています。

写真:會澤翼選手5
本塁を死守し、勝利に貢献

今後の活動の目標は?

それはもちろん、1試合でも多く試合に出てチームの勝利に貢献することです。優勝の歓喜を再び味わうために、日立市民の皆さん、ファンの皆さんの応援を力に変え、頑張っていきたいと思います。

写真:會澤翼選手6
野球や日立への想いを熱く語る會澤さん

Profile

會澤 翼(あいざわ つばさ)

日立市出身。

2006年高校生ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。

球団初のセ・リーグ3連覇に大きく貢献し、2017~2019年には3年連続ベストナインを受賞。

2019年WBSCプレミア12では、侍ジャパンの正捕手として日本代表の初優勝に貢献。

2021年~日本プロ野球選手会の会長を務める。

このページについて、ご意見をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか。
このページの内容は分かりやすかったですか。
このページは見つけやすかったですか。


このページに関するお問い合わせ

市長公室 広報戦略課
所在地:〒317-8601 茨城県日立市助川町1-1-1 本庁舎4階(市民相談室本庁舎2階)
代表電話番号:0294-22-3111(内線:717(市民相談室 511))
IP電話番号 :050-5528-5037
ファクス番号:0294-21-1663
市長公室広報戦略課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。