【シリーズ・ふるさと日立大使 Interview】KATSUMIさん)
KATSUMI/シンガーソングライター

今回の「ふるさと日立大使Interview」シリーズにご登場いただくのは、シンガーソングライターのKATSUMIさん。
今年音楽活動35周年という節目を迎えるKATSUMIさんに、歌手になられたきっかけなどを伺ったほか、日立市の子どもたちへのメッセージをいただきました。
背筋に“電流”が走った友達のお兄さんのエレキギター演奏
どのようなきっかけで、歌手になられたのですか?
小さい頃、アイドル歌手が出ている音楽番組をよく見ていて、幼いながらに自分も人前で歌ってみたいなと思っていたんです。また、4つ上の姉が、レコードでビートルズやクイーン、日本のフォーク音楽などを聴いていて、それを僕も小学生の頃から一緒に聴いていたので、影響を受けていたんだと思います。
中でも一番覚えているのが、小学6年生のときに助川中学校の文化祭に行ったときです。友達のお兄さんがステージの上でエレキギターを持って「ガシャーン!!」って弾いた時、背筋に本当に電流が走ったような衝撃を受けたんです!
それまでもテレビの世界に憧れはありましたが、やはり生の演奏は全くの別物で、その時に受けた衝撃が、今でも忘れられないです。
「歌手になりたい」という憧れから「歌手になる」という夢に向かって歩み始めるきっかけになった出来事だったと思っています。

流れでも成り行きでもなく、やりたいことやってきた
その後、中学1年生ぐらいのときに、叔父からクラシックギターを借りたことがきっかけで、アマチュアバンドを組んで市民会館などでライブを行うようになりました。
今思えば、その頃には「歌手になろう」と自分の中で決めていたんだと思いますが、当時は、周りの人に「歌手になるんだ」「東京に行くんだ」みたいなことを言いふらすほど度胸があったわけではありませんでした。
初めて母親に自分の夢を伝えたのは、高校3年生の進路相談のときです。そのときは、母親もこの子はそういうことをやりたいって言いだすんじゃないかとなんとなく思っていたらしいです。
本当に今思い返すと、やりたいことをずっとやり続けていて、気が付いたら仕事になっていたんだなと思います。東京に行きたいという憧れや周囲に流されたり、成り行きではなく、やっぱり自分がやりたいことをやり続けた結果、今の自分があるんだと思います。

自分の想い・メッセージを曲に込めて
ご自身の作品を含め、多くのアーティストに楽曲の提供を行っているKATSUMIさん。どのように曲作りをされているんですか?
曲作りに当たって大切なことは、いろいろなことやものに興味を持つこと、「アンテナを立てる」ことだと思っています。
特に最近は、些細なことでも表現のネタにつながるんじゃないかと、街並みや道行く人を観察しながら歩いたり、芸術作品を見たりして、表現の引き出しを増やしたいと思っています。街を歩いているときの空気感からインスピレーションを得ることも多いですね。
今まで聞いてきた音楽や経験などに影響されて曲作りをすることもあります。
シンガーソングライターには、いろいろなタイプの方がいらっしゃると思いますが、僕は元々ロックが好きだったので、楽しい曲であっても、自分が生きてきた中にある考えや想いをメッセージとして歌に込めて、みなさんに伝えられたらと思っています。
昨年、16年ぶりにオリジナル・フルアルバム『water.』をリリースしたのですが、その作品は、作詞・作曲・編曲・演奏・録音とほぼ全てを自分1人で行い、「これからの日々において、僕の曲が誰かの支えになればいいな」という想いを込めて作りました。
日立市を題材に作詞・作曲した作品はありますか?
あまり、固有名詞は出さないのですが、地元日立市からインスピレーションを得て作った曲もあります。
ある映画のエンディング曲として作った『Sakura Sakura』という曲は、母校である助川小学校の校庭にある「五代桜」をイメージしたものです。「その桜はずっと僕たちを見守ってくれているよ。きっとこれからもあの桜は僕たちを見守ってくれるんだろうね」というように、日立のシンボルである桜はいつの時も僕たちを優しく見守ってくれているんだろうな…と想像を膨らませて作曲しました。
仕事で日立市に来るときの常磐線の中で、朝や夕方の車窓から流れる景色を見て、ひらめきや着想が次々と生まれて曲を作ったこともありました。

お客さんの笑顔と応援に感動
歌手になってよかったと感じるのはどんな時ですか?
やっぱりライブに来てくれるみなさんの笑顔ですね。デビューして2年目の頃、ある航空会社のCMソングが大ヒットとなったのですが、ライブに来てくれたみなさんが紙飛行機を飛ばして盛り上がってくれたんです。今もライブの時に紙飛行機が続いているのですが、本当に毎回感動するんです。
若い頃は、本当にエゴの塊のような部分もあったかもしれませんが(笑)、お客様がいてこそ、シンガーソングライター・KATSUMIが存在し、みなさんの応援のおかげで自分も頑張れるし、みなさんのリアクションがモチベーションにつながっていると思います。
子供たちだけでなく、先生や保護者の方にも癒しを
最近地元では、どんな活動をされているのですか?
実は、北茨城や勝田の特別支援学校でクリスマスコンサートを開催しました。きっかけはどちらの学校も僕の同級生が校長先生で、彼は子どもたちにはのびのびと明るく夢を持ってほしいという考えがあって、「ドリーム」というタイトルのコンサート企画を考えていたそうです。
コンサート開催に当たっては、もちろん子どもたちに喜んでもらいたいという想いが1番でしたが、教育の現場でいろんなご苦労があるであろう先生方と保護者の皆さんにも、いつも通っている学校が会場という安心感の中で、音楽を通して「癒し」を届けられたらという想いもありました。
当日は、子どもたちのパワーに圧倒されました。歌を通して勇気を持って生きていこうという気持ちが伝わっていればうれしいですね。
近い将来、ぜひ日立でも子どもたちに向けたコンサートを実現させたいと思っています。
生の音楽に触れる体験を通して、音楽の素晴らしさを知ってほしいですね。
音楽活動35周年・特別な1年にしたい
今後の活動の目標は?
僕は、今年還暦を迎えるのですが、実は音楽活動35周年というアニバーサリーがいっぺんにくる年なのです。いろんな方々からの応援をいただきながら、ちょっと特別な1年にしたいと思っています。
大きな花火をドンっと打ち上げるというよりは、自然と盛り上がって、今年1年は僕に暖かい風を送っていただき、36年目に突入したいと思っています。
あとは、コロナ禍で行けなかったところに、ぜひツアーでお邪魔したいですね。
子どもたちに夢を持ち続けてほしい
最後に、日立の子どもたちへメッセージをお願いします。
子どもの頃って、やりたいことや好きなことを言うことが恥ずかしいかもしれないけど、見つけられていないわけではないと思うんです。できれば、恥ずかしがらずに勇気を出して、夢を言葉に出して言える環境を僕みたいな人間が作ってあげられたらと思っています。
将来の夢も、ユーチューバーとか公務員とか、何でも良い思うんですけど、「僕はこういう風になりたい!」みたいな夢を、子どもたちみんなが持ち続けてキラキラしていてほしいですね。
僕の場合は音楽でしたけど、子どもたちには興味のあることにチャレンジして、夢をつかんでほしいです。
日立のみんな、頑張ってね!

Profile
KATSUMI(かつみ)
日立市出身。助川小学校・助川中学校卒業
1990年 アルバム『SHINING』、シングル「Shining in the Night」でデビュー。以降、「危険な女神」「YES,抱きしめて」「Just time girl」「It's my JAL」など続けてCMタイアップ曲をリリース
1994年 5thアルバム『SUPER BALANCE』がオリコンチャートで1位を獲得
2001年 『ウルトラマンコスモス』の主題歌を提供
2010年〜FMひたちのパーソナリティとして活動開始
2024年 16年ぶりのオリジナル・フルアルバム『water.』をリリース
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