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staff blog園長室ブログ

新ニホンザル舎完成~サル山の裏事情

2020年11月22日

 先日、ある方からメールでのお問合せがありました。内容は、「新しく完成するニホンザル舎について期待する反面、これまでのサル山を40年近く見続けてきた者として、その裏側(内部?)を見たことはないので、ぜひこの機会に見せて欲しい」というものでした。

サル山全景
《51年目のサル山》

 このメールにあるように、新しいニホンザル舎が完成し12月10日から公開されます。今度の施設はこれまでのサル山のような形状ではなく、また面積的にもこれまでより少し小さめとなたっため、広場形式とし、中央部にタワー式の6層のテラスを設けるなど、エンリッチメント的な遊具や居住環境に配慮した施設としました。そんな新しい施設は公開後のお楽しみ、という事にして旧サル山は50年を超える歴史に幕を下ろそうとしています。そこで今回は、旧サル山の歴史について、問合せ者の興味を引いた裏側(事情)とともに紹介してみたいと思います。

新ニホンザル舎
《新ニホンザル舎》

 旧サル山は、昭和44年10月に完成しました。実はこのサル山を含む通称・北園は、かみね動物園が開園した昭和32年には市民球場でした。私も小学生の頃は、ここのバックネット付近でよく遊んだものです。しかしその10年後、園内拡張に伴い球場は解体され、北園として誕生したのでした。北園のイメージは全体をアフリカ園的なコンセプトで作ろう、ということになり、キリンや、シマウマ、サイ、カバなどが展示されていきました。このサル山も、当時はニホンザルではなくアフリカに生息するヒヒの仲間、ドグエラヒヒ(アヌビスヒヒ)を展示する予定でした。ところがそのヒヒを試験的に入れたところ、寝室の構造などがとても持たないのではないか、という事が分かり急きょニホンザルへ変更したらしいのです。確かにドグエラヒヒはヒヒの仲間では最大と言われ、体重ではニホンザルの2倍から3倍程度はある大型のサルです。結局展示場へ出すことなく1週間ほどで展示を断念したという事でした。当時の選択をとやかく言うつもりはありませんが、関係者は相当焦ったでしょうね。結局、翌45年1月、島根県からニホンザルの群れ集団43頭を入れ、サル山がスタートしました。ですので、この一角だけアフリカの中の日本領という、今はやりの「ざんねん」な北園だったのかも知れません。

北園オープン前 工事中のサル山
《北園オープン前の野球場と建築中のサル山(右)》

ドグエラヒヒ
《ドグエラヒヒ(アフリカにて)》

 以来約50年、43頭でスタートしたサルたちですが、繁殖や死亡、他園転出などを重ね、現在は97頭の集団となっています。しかし私が着任した10年以上前は実に180頭超のサルたちであふれかえっていました。近親交配なども起こりこれ以上の無秩序な自然繁殖はいかんだろう、という事で、そこから繁殖制限をした結果、現在の頭数まで減らすことに。動物園の中でもサルたちは群を抜いて活動的です。このため多くのお客さんがニホンザルは見ていて飽きないと言われます。確かに毛づくろいなどのコミュニケーションのほか、ロープや遊具などを使った遊びや、追いかけっこ、時には度を越した闘争、かと思えば寒い時の身を寄せ合うサル団子など、様々な表情や行動が観察されてきました。

毛づくろい サル団子
《毛づくろいとサル団子(右)》

 そんなサル山ですが、内部では着実に崩壊が進んでいたのです。サル山は鉄骨や鉄筋で型枠を組み、そこにコンクリートやモルタルを吹き付ける形で形成されました。その鉄筋や鉄骨は腐食が進み、支えが効かないほどに崩れ落ち、また外側のモルタルなどもボロボロと崩れる状況となっていました。その都度、部分的に補強したり修理していたのですが、もはや限界。大規模な修繕工事はサルがいる中で行うことはできません。そこで、違う場所での新設を決断するに至ったわけです。

内部崩落1 内部崩落2

内部崩落3 内部崩落4
《内部の崩落状況》

 つい先日も壁の一部が大きく崩れ落ちました。新ニホンザル舎は12月10日オープン。これ以上の大きな崩壊も懸念される中、なんとかギリギリ間にあった感があります。50年にわたるサル山の歴史にはこんな事情があったという事を頭の片隅に止めて頂き、新しいニホンザル舎をぜひ楽しんで頂きたいと思います。なお、問合せ者のメールにあった裏側とは内部のことではなく、単純に山の裏側の事かも知れませんので、そちらの写真もご覧下さい(裏には何もありません・・・笑)。

壁補修 裏側
《壁崩落によるコンパネでの応急補修とサル山ホントの裏側(右)》

2020年11月22日