小説「ある町の高い煙突」読書感想文等コンクール入賞作品紹介

表彰式集合写真

 

小説「ある町の高い煙突」の映画化に合わせ、子どもたちに、市民と企業が協働して煙害を克服した本市の歴史を身近に感じてもらうため、市内全中学2年生に小説(文庫本)を配布し、読書感想文等コンクールを実施しました。

コンクールは3種目(感想文・感想画・キャッチコピー)を募集し、感想文は505点、感想画は95点、キャッチコピーは468点の計1068点の応募がありました。


小説「ある町の高い煙突」読書感想文等コンクール実施結果概要

  

1 募集内容について

(1)対象   市内の全中学2年生 1,629人

(2)募集種目 3種目(感想文・感想画・キャッチコピー)

 

2 応募数    計1,068点

(1)感想文     505点

(2)感想画      95点

(3)キャッチコピー 468点

 

3 審査委員会について

(1)審査委員

No.

区分

氏 名

役職等

1

委員長

長山 靖生

評論家/長山歯科医院 院長

2

副委員長

川崎 恭子

日立市教育研究会 会長

3

委員

松村 克弥

映画「ある町の高い煙突」監督

4

委員

原田 実能

映画「ある町の高い煙突」を応援する会事務局長

5

委員

大熊 邦稔

株式会社文藝春秋 営業局 営業推進部長

6

委員

田代 俊太郎

JX金属株式会社日立事業所 総務担当課長

7

委員

稲川  修

株式会社日立製作所日立事業所 庶務課長

8

委員

斎藤  敦

株式会社茨城新聞社日立支社 支社長

9

委員

ミウラナオコ

イラストレーター/

国体マスコットキャラクター「いばラッキー」制作者

10

委員

窪田 康德

日立市教育委員会 教育部長

11

委員

鈴木 利文

日立市 市長公室長

(2)審査委員会の開催

 ア 平成30年10月6日(土)

   小説「ある町の高い煙突」読書感想文等コンクール審査委員会第1回会議

 イ 平成30年12月15日(土)

   小説「ある町の高い煙突」読書感想文等コンクール審査委員会第2回会議

 

4 各賞

(1)最優秀賞 市長賞

(2)優秀賞  議長賞、教育長賞、茨城新聞社賞、文藝春秋賞、監督賞、関根三郎賞、加屋千穂賞

(3)特別賞 審査委員特別賞

 

5 表彰式(映画「ある町の高い煙突」日立市民特別試写会と同日開催)

(1)日時 平成31年2月3日(日)午後2時から

(2)会場 日立市民会館ホール

 

市長挨拶委員長講評


小説「ある町の高い煙突」読書感想文等コンクール受賞者一覧

※「受賞者名」や「学校名」をクリックすると、該当する作品に移動します。

【感想文】

No.

賞の区分

受賞者名

学校名

1

市長賞

寺﨑 千尋

日立第一高等学校附属中学校

2

議長賞

佐藤  駿

泉丘中学校

3

教育長賞

瀬戸口 瑞歩

日立第一高等学校附属中学校

4

茨城新聞社賞

野内 萌々香

日立第一高等学校附属中学校

5

文藝春秋賞

木村 莉音

豊浦中学校

6

監督賞

小原 瑞稀

多賀中学校

7

関根三郎賞

安川 浩生

茨城キリスト教学園中学校

8

加屋千穂賞

木村 羽有稀

多賀中学校

9

審査委員特別賞

髙木 結希

日立第一高等学校附属中学校

10

藤田 大晃

十王中学校

11

肥田 志音

豊浦中学校

12

髙﨑 桃佳

豊浦中学校

13

小野間 花菜子

豊浦中学校

14

坂元 美結

久慈中学校

15

佐久間 美羽

駒王中学校

 

【感想画】

No. 

賞の区分

受賞者名

学校名

1

市長賞

石井 樹里

久慈中学校

2

議長賞

額賀 成世

久慈中学校

3

教育長賞

芳賀 陽向

台原中学校

 

【キャッチコピー】

No. 

賞の区分

受賞者名

学校名

1

市長賞

小野 礼樹

多賀中学校

2

議長賞

中田 泰成

十王中学校

3

教育長賞

遠藤 結弥

滑川中学校

4

茨城新聞社賞

鈴木 香帆

多賀中学校

5

文藝春秋賞

渡邊  暖

助川中学校

6

監督賞

金田 虎汰郎

助川中学校

7

関根三郎賞

鈴木 想奈

十王中学校

8

加屋千穂賞

大貫 るな

平沢中学校

9

審査委員特別賞

後藤 煌貴

坂本中学校

10

福士 詠美

十王中学校

11

早川 果佑

久慈中学校

12

廣瀬 由茉

助川中学校

13

坂元 美結

久慈中学校

14

江川 晋平

多賀中学校

 


作品紹介【感想文】

 

■市長賞

 

  「共存の町、日立」

日立第一高等学校附属中学校 寺﨑 千尋

 

 もし日立で一番素敵なところはと聞かれたら、私は桜と答える。いくつかの工場の隣りを通って通学しているが、毎年開花時期になるといつもの風景が別世界に様変わりする。ここにもと思う程日立には桜があり、花に囲まれていると不思議に優しいものに包まれている気持ちになる。今回この本を読んで、日立に沢山の桜がある理由がよく分かった。安直に植樹したのではなく、人々も工場も共存出来る魅力ある町にしようという願いを込めて行ったことだと知った。

 今もきららの里方面に向かう途中で、大煙突を見ることが出来るが、ここから工場の町が始まったと思うと感慨深いものがある。だがその道のりは苦労の連続だった。経営が順調になった頃から、銅を採掘する際に排出される煙害が人々を苦しめた。肺病を患い亡くなった人や、植物が枯れてしまうために生活が出来なくなり、住み慣れた地を離れた人もいた。例えそこに住み続けていても、周囲の人が病を患っている姿や春になっても葉が育たない様子を目にする度に、当時の人々は不安でたまらなかったことだろう。では安全性を優先して、生活を脅かすものは撤廃すれば良かったのだろうか。先人達が選んだのは共存、共栄だった。

 主人公の関根三郎は旧制一高に合格していたにもかかわらず、村に煙害被害の調査にやってきたスウェーデン人技師より煙害被害を知り、進学を断念してまでも煙害のために努力を尽くした。安易に被害を訴えるのではなく、日立より以前に煙害にあった四国などへ行って調べたり、気象庁では日立の風の向き等を調査した。一方鉱山側は多くの従業員を雇っているため、十分な賠償金を支払う等の対応は出来なかったが、神峰煙道やだるま煙突などを作って煙害の軽減をしようとした。また日立には全国でも珍しく市役所内に気象業務部署があるが、会社が鉱山から出る煙の流れを観測するために気象観測所を設置したことに由来するものだった。

 そうした沢山の努力によって、一九一四年に大煙突が完成した。製錬所周辺に垂れ籠めいていた煙が消えていく様子に、人々は感動し深く心に刻みこんだことだろう。一般には被害者は「善」と判断しがちだ。だがもしその考えに固執していたならば、今に至ることは出来なかったと思う。

 公害というと足尾銅山の田中正造を思い浮かべる人が多いだろう。だが公害病の被害にあった地域は実際にはとても多く、日立もその内の一つだった。今地球を取り巻く環境は温暖化やオゾン層の破壊等、種々な問題を抱えている。どれも難しい問題ばかりだが、諦めたらそこまでだと今を生きる私達に三郎達が言っている気がする。

 私は生まれた時から日立に住んでいるが、日立市民であることを誇りに思う。来年の春は、かつて煙害と闘った人達のことを思いながら日立の山桜を見に行こうと思った。

 

  

■議長賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

泉丘中学校 佐藤 駿

 

 海と山が隣接している自然豊かな日立市。海に近いところに高台があり、太平洋を一望できるのも魅力の一つだ。春には桜が各所に見られ、かみね公園・平和通りは「日本のさくら名所一〇〇選」にも選ばれているほど、桜が有名な自慢の街である。そして、この日立市は日立鉱山とともに目覚ましい発展を遂げた企業城下町であることも忘れてはならない。

 僕は、この夏「ある町の高い煙突」という本を読んだ。日立市のシンボル的な存在である「大煙突」にまつわる実話を基に描かれた小説だ。かつて世界一の高さ(一五五・七メートル)を誇った煙突だったということに、まず驚いた。なぜなら今の姿からは想像ができなかったからだ。

 常磐自動車道をいわき方面へ向け車を走らせると左手に、どこかレトロで短い煙突が見える。一九九三年(平成五年)二月十九日、下部三分の一を残して倒壊してしまったが、この煙突こそ日立鉱山と地域住民が環境破壊を乗り越えたシンボルなのだ。

 この本の主人公である、関根三郎は将来、外交官になるという夢を捨て、村のために煙害と立ち向かうため尽力した熱意ある青年だ。日立鉱山から発生する亜硫酸ガスが周辺の山々を枯らし、農作物に大きな被害を及ぼす煙害が深刻化したため、住民側の代表となって解決に向けて戦った三郎。そして、農民と会社の間に立って被害救済に奔走した企業側の一員である加屋淳平。この二人の誠意が日立鉱山の歴史を大きく変えたと言っても過言ではないだろう。

 公害問題というと、住民側が「善」で企業側が「悪」という構図ができる。しかし、三郎は鉱山側のやることも、ちゃんと理解しようとしていた。住民と企業が争うのではなく粘り強く話し合い、試行錯誤を繰り返した結果「大煙突」が建てられたことを知り、胸が熱くなった。そこに行き着くまでの過程は、苦労と忍耐の連続であったと思う。両者が歩み寄り、共存共栄の精神で町の存続、発展のために力強く立ち上がる姿に感銘を受けたと同時に、爽快感を覚えた。

 僕は、大煙突と日立鉱山の歴史を身近に感じたくて「日鉱記念館」に足を運んだ。以前、学校行事で何となく訪れた時とは違い、視点がガラリと変わった。この本に出会い、あの時代に生きた先人たちの偉業を知ったからだ。館内には、かつての「大煙突」の映像やパネル、建設のエピソードや地域とともに煙害問題克服と自然回復に取り組んだ経緯が紹介されていた。今も残る百足煙突やダルマ煙突は失敗作に終わり、社運を賭けて気流層まで届く大煙突が建てられたそうだ。そして見事に煙害を少なくすることに成功したのだ。

 「一九五一年(昭和二十六年)一月三十一日は私にとって忘れることのできない日でした。この日を境として、私は煙のことを心配しないでもよくなったのです。私は完全に煙から解放されたのです」

 印象に残る言葉だった。第二次世界大戦の数年後に完成した排煙利用硫酸製造工場の出現によって煙害問題は終止符を打ったのだった。三郎の長い戦いが完全に終わった。一九一五年(大正四年)に完成した「大煙突」は五四メートルの高さになってしまった今も、日立市のシンボルとしてそびえ立ち、使用され続けている。公害防止を訴え続けながら、企業の発展と豊かな自然を山の上から見守っているように感じられる。この本を読んで改めて、僕が住んでいる日立市が好きになった。そして誇らしく自慢したい気持ちになった。

困難に向き合った先人たちの情熱と信念を忘れずに生きていきたいと思う。

 

 

■教育長賞

 

  「現代の三郎を探して」

日立第一高等学校附属中学校 瀬戸口 瑞歩

 

 「夢を捨ててまで村を守ろうとするなんて、なんて素晴らしい人だ。現代にこそ、彼のような人物が必要なのではないか。」この本を読み終えてまずそう思った。

 私の通う学校のある日立市で、近いようで遠い、遠いようで近い明治時代から大正時代にかけて公害事件が起こった事は全く知らなかった。公害事件と言えば「足尾銅山鉱毒事件」であり田中正造である。次に四大公害であり、近くに住みながら日立市にこのような歴史があったと知り大変驚いた。それと同時に、あの時代に企業側と住民側とがぶつかりながらも、忍耐強く、時に厳しく難題を解決して行く過程に感銘を受けた。中でも関根三郎の存在は大きく、彼抜きではこの公害問題を解決するのは難しかったのではないかと思う。彼の莫大な知識、努力して培った学力も素晴らしいけれど、何より一人の人間として、煙害から村を守ろうと人生をかけて難題に挑んでいく姿には、村の長老ではなく、割と近い年齢の自分としてはただただ尊敬する。それでいて、三郎が遅々として進まないこの問題に対して「このような人生で良かったのだろうか」と自問自答、葛藤する所もとても人間らしく、心の片隅でそう思ってしまうのも仕方がないと思った。なぜなら三郎は今でいう東京大学に合格しているのだから!

 三郎の専門知識もさることながら、企業側に歩み寄る姿勢、時に粘り強く、時に信念を貫く三郎の存在は言うまでもなく、その相手側に、企業側としては珍しく柔軟な対応をしてくれた加屋淳平の存在も大きいと思った。

 当時の技術力・経済の発展具合それら全てが現代とは比べものにならない時代だったのにも関わらず、その時々で出来る限りの補償や公害対策としての「世界一高い煙突」を創り、公害問題を解決した日立鉱山の力にも率直に素晴らしいなと感じた。現代において様々な社会的事件が起きる中、国や企業が、そこまでの歩み寄りをしてくれているものだろうか。また現代に三郎のような人は存在するのだろうか。

 例えば原発の必要性。様々な所で議論されているが、先人が成し得たように「世界一高い煙突」を作ってどちらも納得が行くような解決法はないものかと思う。交通手段が馬であった三郎に対して、現代は高速道路もあり、インターネットまで完備されているのだから。

 私は三郎、関右馬允さんの成し得た偉業をもっと多くの人に知ってもらいたいと強く思った。市外、県外に住んでいる人からすれば、過去の公害問題であり、しかも技術が飛躍的に進んだ現代においては、日立市の歴史の一ページに過ぎないと思うかも知れない。でもだからこそ、あの時代にこのような解決方法を導き、双方が納得いく解決をした過程を知ってもらいたい。すぐに自己発信、デモを起こしては、自分側の要求ばかりを通そうとする被害者側、一方自分たちの利益や世間体を考えてばかりの加害者にも遠い過去の公害事件から学べることもあると思った。

 最後にもし私が三郎だったら夢を諦めてまで村を守るために大企業に立ち向かえられなかったかもしれない。これは三郎を支えてくれたみよや千穂、いねの存在があったからだと思う。だから自分を支えてくれる人に感謝をし、これからの生活に生かしていきたい。

 この本に出会って公害問題についてはもちろん、今日の日立市がどのように発展してきたのかが学べた。近いうち、日鉱記念館や旧入四間村にも訪れ、皆にこの事を伝えたい。

 

 

■茨城新聞社賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

日立第一高等学校附属中学校 野内 萌々香

 

 爽快感。私は、この本を読み終えた時に、この言葉が浮かびました。農民、会社、それぞれが、一生懸命努力し、劇的な成功をもたらしたからです。公害と戦う物語の多くは、悲劇的なものだと思っていたのですが、この作品は違いました。

 主人公三郎は、入四間村の旧家・関根家に養子に入り、旧制中学校に通っていました。ある日、村にチャールズ・オールセンというスウェーデン人の技師がやって来たため、英語が得意な三郎は、通訳をします。このことが、煙害に関わる最初のきっかけとなりました。

 三郎は、旧制第一高等学校に合格しますが、銅山の拡大にともない、煙害も拡大していったため、三郎は進学を断念し、煙害問題と戦う中心人物となっていきます。

 もし私が三郎の立場だったら、村のためにここまで尽くすことができたのか、正直分かりません。自分の夢を捨ててでも、村と人々を守るために、尽力した三郎は、とても立派だなと思いました。

 その後、三郎は、賠償金の請求の交渉を続けたり、他の煙害被害地を訪問したり、高価な写真機を購入して、被害前後の証拠となる写真を撮影したりするなど、努力を続けますが、煙害を完全に食い止めることはできませんでした。

 私は、先の見えない根本的な困難に立ち向かう三郎の精神力は、並大抵のものではないと感じました。また、村民の意見と、会社側の声をそれぞれに聞き、粘り強く交渉し続ける姿勢に、尊敬の念を抱きました。

 かつて、スウェーデン技師の、チャールズ・オールセンが、国へ帰る時、三郎に贈った、”勇気と忍耐〟という言葉を、実行していたのではないかと思いました。

 そんな三郎が、絶望しかけた時、救ってくれたのも、チャールズ・オールセンからの手紙でした。それには、ヨーロッパでは、煙突を高くすることで、煙害を最小限に抑えている、などといった内容が書かれていました。

これで確信を持った三郎は、会社の社長に、大煙突を立ててもらえるよう、もう一度直訴します。

 社長もまた、煙害問題解決のためには、大煙突が有効であると感じていました。そして、この問題をなんとかして解決しようと、奮闘し始めます。三郎は村民を、社長は社員を、粘り強く説得し、大煙突を建てる計画が、やっと完成しました。

 私は、憎むべき存在だったはずの、会社の社長が、最後に思い切って、優れた判断をしたこの場面が、読んでいて、一番ワクワクしました。

 世界一の大煙突は、こうして、公害対策のために、煙害に苦しむ農民と、銅の大量生産を目指す会社との、対立を越えて、生まれました。そして、その町のシンボルとなりました。

 それは同時に、人間が人間らしく生きるために、精一杯の努力を惜しまず、社会貢献をし続けた人々の”勇気と忍耐〟のシンボルにもなったのだと、私は思います。

 中学生の私には、これからたくさんの困難な出来事や、思い悩み、諦めそうになる事がたくさんあるでしょう。

 そんな時、この大煙突を見に行きたいと思います。

 ”勇気と忍耐〟で立ち向かえるように。

  

  

■文藝春秋賞

 

  「大煙突がある町に生まれて」

豊浦中学校 木村 莉音

 

 この町に住んでいても、私にとって大煙突の印象はあまりありません。私が生まれるずっと前に倒壊してしまい、三分の一の高さになってしまっていました。でも、祖父母に「ある町の高い煙突」を読むことを伝えると、とても懐かしそうに話をしてくれました。また、母も同じでした。子供の頃からあの場所にあの高い煙突があり、煙突がそびえ立つ神峰山の風景はとても馴染みのあるものだったと話してくれました。そんな大煙突には長い歴史があり、立てられるまでにはたくさんの困難や試行錯誤、努力がありました。この本を手にした事により、私は人間味あふれる一つの大きな戦いの傍観者になりました。

 日立市は環境問題などあまり聞かないので昔もなかったのだろうと勝手に思っていました。まして、煙害などは高度成長期頃の都会の話だと思っていました。日立市には日立鉱山が有りました。鉱山の精錬所から出る煙が近隣の山々の木々を枯らしてしまう煙害に立ち向かう関根三郎。鉱山側対農民の様に対立し憎しみ合う物語を想像した私ですが、この本に登場する人々は、対立しながらもお互いの立場を思いやり試行錯誤している姿に驚きました。百五十メートル以上の大煙突を立てることを決めた時、農民にそれで被害がなくならなかったらどうすると迫られ、それでも一歩も譲らず冷静に「失敗すれば倒産する。そうすれば煙は出なくなる。」と真っ直ぐな気持ちを口にした時、信頼関係が生まれた感じがしました。お互いを理解し合うことで、誠意が伝わり、平行していた考えが寄り添っていくと思うのです。

 私は中学二年生です。学級活動、委員会、部活など様々な経験の中で友達との意見の相違でぶつかる事も多々あります。そんな時、自分の思いだけを押しつけるのではなく、お互いの考えを理解し合おうと努力する気持ちが大切だと思います。相手の立場になって考え、行動を起こすことができたなら、誰も嫌な思いをせずに問題は解決できるのではないでしょうか。

 実物の大煙突を気にすることなどない私ですが、この本を読んで、祖父母と母と煙突を見に行きました。今では五十四メートル程しかありませんが、それでもその存在感は私の心に響きました。祖父母も母も子供の頃から観ていた風景を今、長い年月を経て私も見つめているそんな思いになりました。大昔の人々が煙害と向き合い問題を解決した大煙突。戦争の時も人々を見守るように高くそびえ立ち、日立市の人々を励まし続けたのかなと思います。小さくなってしまった大煙突を見つめる祖父母の目は、どこか寂しそうな、昔を思い出しているようなそんなまなざしでした。私は祖父母に大煙突のように長生きしてほしいなと心の中で思いました。大人になったらこの大煙突の話を自分の子供達にもしてあげたいと思いました。当時、世界一だった大煙突を私は誇りに思います。また、この大煙突を立てる為に力を尽くした人々に拍手を送りたいと思います。

 

  

■監督賞

 

  「ある町の高い煙突」

多賀中学校 小原 瑞稀

 

 雑草が背丈ほどまで伸び、壊れた空き家が目立つ、人の気配がしない、その場所で祖母は私に言った。

「ここが、昔、おばあちゃんの住んでいたところだよ。」

 祖母は七十六歳、日立の本山で育った。祖母はただ驚いて見ている私に、祖母の小さい頃の話をしてくれた。

「昔はね、とてもにぎやかだったんだよ。何千人もこの町に住んでいて。三階建てのアパートがいくつも建っていて。山の向こうには貸家がずっとずっとつづいていてね。」

 普段は口数の少ない祖母だが、小さい頃の話をはじめると止まらなかった。本山から日立の駅まで電車が通っていて、通勤・通学・通院に町のみんなが使っていたこと。日立の町の銭湯の料金は百円くらいしたけれど、鉱山の会社で開放していた銭湯は一円で入れたこと。本山には映画館、プール、テニスコートなどの娯楽施設がたくさんあったこと。とくに、回転する舞台や花道があった共楽館はすごかったと祖母は懐かしそうに話してくれた。

 祖母は両親と弟の四人家族で、本の題名にもなっている「ある町」で生まれ育った。祖母の父親、つまり私の曽祖父は鉱山で働いていた。石を掘る鉱夫ではなく、選鉱といわれる石を選別する仕事をしていたそうだ。曽祖母は鉱山の「供給」という場所で仕事をしていた。鉱山の町はとても大きく、生活に必要なものは、町にいくつもあったこの供給で買い物をしていた。給料前でお金がなくても、「つけ」で買うことができ、生活できたらしい。決して豊かな生活ではなかったというが、鉱山の会社がプールやお風呂を開放してくれたり、電車を町の人に使わせてくれたり、きっと町の人々は鉱山の会社に感謝していたと思う。

 祖母の一番の楽しみはお盆の時のお祭りだった。その時は、母親からお小遣いをもらい、友達と出かける。最大イベントの花火は町の誰もが楽しみにしていたそうだ。この花火も鉱山の会社が町の人に喜んでもらおうと上げている花火だ。

 そんな祖母の話のたいぶ昔に、大煙突は出来上がった。その当時では、世界で最大級のとても大きな煙突だ。鉱山の出す煙で、山の木や畑の作物がみな枯れてしまい、それをどうにか無くしたいと大きな煙突を作ることになった。鉱山は大きい会社で、たくさんの人を雇っていた。そこで生活をしている家族も大勢いた。だから、町の人は鉱山の出す煙に困っていたはずだ。鉱山の会社は町の人を大切に思ったから、成功するか分からない大煙突をつくることに、お金をたくさん出した。祖母の話を聞いて、鉱山の会社は、働いている人々やその家族を、周辺の人々をどれだけ大切に思っていたのかが分かる。

 この本には、鉱山の煙害で辛い思いをした町の人々と煙害に立ち向かった会社側の人たちがかかれている。作物を作っても作っても枯れてしまい収穫ができない。収入がなく生活に苦しみ、そして、煙を吸い健康を損なう町の人々。会社側はそんな町の人々に向い合い、どうにか解決したいと強く願った。しかし、簡単にはいかなく、何度も失敗を重ねている。

 わたしは何かしたほうがいいと思ったときも、なかなか行動にうつせない。いろいろ考えてしまうからだ。自分の気持ちもあるが、相手の気持ちもある。迷っているうちに、どうしたら良いかわからなくなってしまうこともある。でも、この本には失敗に何度も何度も立ち向かっていく強い人がいる。私もそんな人になりたいと思う。

 普段は気にもとめない日立の大煙突には、このような大きな公害と苦労した人々、そして煙害を解決しようと頑張った会社の人がいるということがわかった。

 普段は、私の話の聞き役の祖母に、

「おばあちゃん、小さい頃の本山のお題、もっと聞かせて」

と言ってみようと思う。まだまだ私の知らない鉱山の町の話を聞いて、亡くなったそ曽祖父や曽祖母、祖母の暮らしを知りたい。それから、また「ある町」の本山に行って、今も煙の出ている大煙突を見てこよう。きっと前とは違ったように見えるはずだ。

 

 

■関根三郎賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

茨城キリスト学園中学校 安川 浩生

 

 僕の上には、どこまでも高く、どこまでも澄み渡る青空がある。東には、水平線までくっきり見える青い海がある。西には、高鈴山、助川山、風神山の青々とした日立アルプスの山並みがある。

 当たり前の風景だと思っていた。自然豊かな風景は、昔からずっと前から変わらない風景だと思っていた。

 僕は三郎から学んだことがある。

 一つ目は、責任感からくる決断力だ。村の危機を救うために一度決心した外交官になる夢をあきらめ、村に残る決断をした。十五歳の三郎の決断が、僕には想像も出来ないくらい信じられなかった。まだ十五歳なのに…と僕は思ったが、三郎は自分の置かれている立場や周りの状況を混乱の中で冷静に判断し決断したのだと感じ、胸が重くなった。

 二つ目は、人との接し方だ。祖父母や村の人、鉱山の人や他で被害を受けている人に対して、理不尽なことを言われても言いたいことも言わず言葉を飲むことがあったり、反論も止めてしまうこともあったりした。何故だろうと疑問を感じたが、正しいことを大きな声で発言することが全ての場面で正解ではなく、感情的になっては会話も問題も解決できない。その人の気持ち、立場になって人と接しなければいけないのだと感じた。

 三つ目は、迅速な行動力だ。「チャールズ・オールセンを訪ねて鉱山訪問」や、「四国別子銅山の現地調査」、「三日三晩の山火事対応」、「濃煙の被害調査」、「東京の木原社長に面会」など、自ら現地に出向き、現場を確認し、現物を調査していた。机上での発言や指示、でないことを知っていたからこそ皆が、三郎を支持し付いてきたのだと感じた。

 四つ目は、人間関係だ。チャールズ・オールセンや鉱山側の加屋淳平、松倉譲造、中央気象台の藤岡作松技師、山田新聞記者との関係は、利害関係で成立しているのではなく、それぞれの人が純粋に「煙害を無くしたい」という気持ちで協力、支援をしてくれたのだと思う。それは三郎の見識や熱い気持ちと誠実な人柄が皆を引きつけそれぞれの人を動かし、それぞれの人達と協力したことでなし得た結果だと思う。

 また、これらに加えて「医学」、「科学」は日進月歩、止まることなく新しいことを開発していくものだと実感した。

 百年前は、結核は死の病だった。治療方法も治療する薬も無く千穂の死は、ロウソクの火がだんだん弱くなり小さくなるように亡くなっていったように感じた。今だったら治すことができるのにと思ってしまった。

 煙害の状況を打開できる道は、「科学だ」と三郎が言っていた通り「科学」の発展は公害を克服してきた。「科学」の発展は経済成長を生み経済成長と比例して公害も増え続けていったのだと思う。公害は、三郎が生きた時代の過ぎた話ではない。海洋マイクロプラスチック問題や地球温暖化問題など日本に留まらず世界規模での環境問題が山積している。

 三郎が百年前にやっていた公害問題の時のように、多方面での知見を結集させ、コミュニケーションをとることで問題解決できると思う。

 僕は三郎のような大きなことはできない。でも未来の日本のため、世界のため、科学の発展のために自分でできること、自分がしなければいけないことを確実に実行していく。

 

  

■加屋千穂賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

多賀中学校 木村 羽有稀

 

 あなたには、自身の青春の全てを賭してまで守りたい何かがあるだろうか。

 関根三郎は入四間村の中心、関根家に養子として迎えられた青年である。彼は英語の成績が良く、外交官を目指して東京の高校を受験し、合格した。しかし、彼は、予ての夢であった外交官への道、進学を諦め、村に残った。三郎の人生を大きく変えた難題。それこそが日立鉱山の煙害であった。

 もし自分が三郎と同じ状況に置かれたら、進学を諦めきれるだろうか。きっと私はできないだろう。人生でも特に華のある青春時代を、その先の夢を、私は捨てられない。しかし三郎は悩みながらも夢を捨て、村の煙害をどうにかすべく、日本を西へ東へ駆け回った。三郎の地域に対する愛情は、並々ならぬものであった。

 現代の日本では煙害による被害は殆ど無い様に思うが、それでもこの話には、現代に通ずるものがある。例えば、原発問題である。世界規模で言えば工業、産業の近代化に伴う環境破壊による少数民族の迫害等も、そうなのではないだろうか。三郎は武力、権力での解決よりも双方が双方を理解し合った和解を望んだ。現代の場合もそうである。どちらか一方の要求をどちらかが呑むのではない。例えば民族の迫害に関してはどちらかが折れる場合の方が多いかもしれないが、日本の原発問題に関してはそれが可能なのではないか。もし放射能による被害が出るかもしれないとなった場合、たくさんの方法をとりあえずためしてみる必要があると、私も思う。

 百足煙突、阿呆煙突を続け様失敗に終わらせ、もう後の無い木原製鉱所。しかし、空へ伸びる大煙突という突飛な想像。それが、村を煙害から救ったのである。

 常軌を逸した空想論。例えそれが世間の考えにそぐわなかったとしても、もしかするとその中に、正解があるのかもしれない。想像力は武器だとよく言うが、想像力が豊かな人程たくさんのことを考えている訳で、実際想像力は武器になると、私は思う。

 大煙突の建設、煙害の解決までの道のりには、三郎の他にも加屋淳平、藤岡技師などのその時代のパイオニアとも呼べる者達の存在が大きかった。

 三郎は頭が良く勉学にも励んでいたが、流石に煙突の構造や煙害を受けた植物については明るくなかった。だがそれでも資料を読み学ぼうとしたのだから、彼の向上心には感服致しましたの一言しか言えない。それは一度置いておくとして、とにかく大煙突の建設にはその時代のパイオニア達や木原吉之助の姿があった。

 加屋淳平、木原吉之助は、両人共に企業側の人間である。淳平は企業側の地所係。しかし常に農民側の希望を汲み取り、双方の交渉が穏便に進むよう、尽力した。更には、煙害で駄目になった作物の肥料も用意した。対して木原は企業の社長。始めは三郎から敵対心を持たれていたが、最後には会社を手放す覚悟で莫大な資金をかけ、大煙突を建設するという英断を下した。

 この物語の良いところは、農民側だけ、企業側だけ、ではなく双方の視点からそれぞれ描かれているところである。双方の視点から、登場人物の相関性、物語が進むにつれての複雑な関係性が、ありありと表現されている。特に三郎と木原は、敵でありながら互いに信頼や、同志の意志を持つ様子があった。

 また、関根家跡取りとしてみよを将来娶る予定の三郎、関根家の子で三郎の許嫁のみよ、関根家の人でみよの母親のいね、そして加屋淳平の妹、千穂。この中で繰り広げられる恋模様は、実に難解であった。

 許嫁という独特の文化に振り回される四人。三郎と千穂は、恋仲だった。みよが三郎に自らが「妹」であることの疑念を打ち明けたシーンは心を打たれる何かがあったが、いねがみよと三郎のためにと千穂を呪いに御岩神社へ夜な夜な祈り釘を打ちに行く場面には、ゾッとした。作者はこの様に煙害に関してだけでなく、登場人物一人一人の個性、関係性を鮮やかな、そして時には生々しいタッチで見事に描ききっていた。

 時に、茨城県民は自己主張性が足りないとよく言われる。言われるというより、県民自身がそれを認めている節がある。この作品の映画化により茨城が、日立が、もっと有名な場所になって、もっと活気ある「ある町」になってほしい。そしてその町の、今は短くなってしまったが、「高い煙突」を建てるために奔走した青年たちがもっと多くの人に知られ、多くの人の生き方、考え方に少しでも関わるころができれば良いと思う。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

日立第一高等学校附属中学校 髙木 結希

 

「ある町の高い煙突」この煙突を知らない者は、きっと日立にはいないのではないだろうか。私はこの「煙突」を、小学生の時から知っていた。しかし、煙突にどのような歴史がつまっているのかということについては全くと言って良いほど知らなかった。今回この本を読み、全く足を踏み入れたことのない未知の世界に一歩、足を踏み入れることができたのではないかと思う。

これは、明治時代から大正時代にかけて拡大した煙害問題を克服しようと立ち上がった青年たちの、誠実で勇ましい姿を描いた物語だ。明治時代、戦争により日本では多くの鉱山から銅が生産され、軍事力強化のために鉱山の規模、生産量が拡大した。結果、足尾銅山鉱毒事件のような公害が各地で起こり、会社と住民の間で争いが勃発していた。茨城県日立市にある日立鉱山でも時を同じくして煙害が起こり、草木は枯れ、田畑も荒れ果て、人々は病にかかった。そのような鉱山の煙害から村を守るために尽力したのはこの物語の主人公、関根三郎である。彼は英語が得意だったため、外交官になるという夢を持っていた。しかし、それを捨ててまで仲間を集めて青年団を作り、村のために煙害と戦った。青年たちの行動に心動かされた他の農民たちも立ち上がり、鉱山側との壮絶な交渉により、高さ一五六メートルを誇る世界一の大煙突建設による煙害克服への道を歩んでいくという物語だ。

冷静になって考えてみれば、この物語はとんでもない話かもしれない。なぜなら、工場が吐き続ける有害な煙を高い煙突を作り、とりあえず下に住む人間や草木に害が出ないようにするという話だからだ。私はそのように考えた。しかし、大切なのはそこではないのだろう。この物語で最も大切なこと。それは、「関根三郎の精神力」なのではないだろうか。若くして煙害問題の矢面に立たされた三郎は様々な苦悩を抱えているにも関わらず、それに耐えて問題と向き合い、農民を導いた。当時の先端技術をフル活用し、煙害問題を克服していく三郎の精神力は実に立派だと思う。煙害問題が克服へと近づいたのは勿論、三郎の力があったからだ。しかし、それだけはない。本来、対立の立場であった鉱山側の人間、鉱業所社長、木原吉之助が農民の話を聞く耳を持っていたということも関係するだろう。一方だけの主張を無理やり通すのではなく、双方が理解し合ったことで克服へと近づいたのではないだろうか。

世界一の公害国、日本では現在もなおあらゆる種類の公害問題が解決されないでいる。私が思う最も大きな公害は、東日本大震災の原子力発電による公害だ。長年住んできた町を出なければならず、苦しんだ人が大勢いる。私の曾祖母もその一人である。彼女は浪江町に住んでいた。原子力発電所が建設される時、地域住民による反対意見が多数出た。しかし、そのような意見が発電所側に届くこともなく、一方的に安全だと説明され、発電所が建設されたそうだ。そして、二〇十一年三月十一日、彼女は幸せだった浪江町での日常を失った。いくら損害補償金をもらったとしても、日常は戻ってこない。彼女の悲しみは私には計り知れないが、話を聞いた時、非常に虚しい気持ちになった。そして、これ以上同じ様な被害者を増やさないために早急に手を打つべきだと考えた。

 私は公害問題を解決するには、関根三郎のようにどんな苦悩を抱えても耐え、問題と正面から向き合える人材が必要だと思う。誠意を持ち、忍耐強く相手と交渉することで、双方が理解する意見が得られ、解決へと近づくのであろう。

私は今まで、親戚に被害者がいるにも関わらず、この「公害問題」に向き合ってこなかった。なんて酷いことをしていたのだろう。しかし、この本を読み、公害の悲惨さについて思い知らされた。これからはこの問題としっかり向き合い、地域に貢献していこうと思う。そのためにも、自分が今できることに全身全霊をささげていきたい。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「ぼくの町の大煙突」

十王中学校 藤田 大晃

 

ぼくは、幼い頃に日立市に引っこしてきた。引っこす前、以前住んでいた家から日立市のおばあちゃんの家に向かうとき、高速道路の向こう側の山の中腹に、大きな煙突を見つけた。

「この大きな煙突は何だろう。」

と、不思議に思ったのを覚えている。その大きさに感心して、おばあちゃんの家に行く時には、いつも煙突を眺めていた。そして、日立市に引っこしてきてからも、側を通るたびにその大煙突を眺めていた。でも、ぼくはその存在を知っているだけで、この煙突がなぜ造られたのか、どんな役目を果たしたのか、当時は何もわからなかった。この本を手にしたとき、

「あの大煙突について書いてある小説があるなんて・・・。」

と、少しわくわくした。

この本を読んで、ぼくが一番印象に残ったことは、主人公である関根三郎のすごさだった。三郎の煙害に対する努力は、人並み外れたものだった。三郎の働きのおかげで、日立に大煙突が完成した。この本を読めば読むほど、鉱山の煙害と根気強く戦う三郎の強さが伝わってきた。

関根三郎は、ぼくにないものをたくさん持っている。ぼくは、他人とコミュニケーションをとることがあまり得意ではない。だから今まで、自分から進んで人と交わろうとはしなかった。しかし、三郎は違っていた。鉱山の煙害から村や村人を守るために、様々な人達と関わり、その関わりを通してみんなから協力を得ることができた。それは、ぼくには真似できないことだ。

 ぼくは、最初、三郎がとった行動が理解できなかった。三郎は、煙害から自分達の村を守るため、第一高等学校に進学することや外交官になるといった夢を諦めた。自分のための時間を削ってまで、村を守るために努力した。

「素晴らしい夢をもって、それがあと少しで実現できそうなのに、なぜ諦めることができるのだろう。」

このことが、ぼくにはすごく疑問だった。もし、三郎が外交官になっていたら、村だけでなく、日本に貢献できていたと思う。でも、三郎は考えたあげく、村の人たちのために働くことを選んだ。これが、関根三郎の人として素晴らしいところなのだろう。

三郎に大きく影響を与えた人物の一人に、加屋淳平がいる。ぼくは、加屋淳平の生き方も、人としてとても素晴らしいと感じた。加屋は、鉱山の会社側の人間でありながら、三郎と一緒に村の煙害の調査をしたり、煙害防止策を考えたりしていた。エゴイズムをむき出しにしている鉱山の社長、木原吉之助とは全く違っていた。「長いものには巻かれろ」という言葉があるが、加屋淳平は、三郎と同じで大きな力に負けず、自分の信念を貫き通した人だった。二人は、とても長い間、村のために煙害と戦い続けた。

ぼくは、この二人のように、自分の夢を諦めてまで、人のために努力し尽くすことができるか考えたが、自分には絶対に無理なように感じた。でも、ここまではできなくても、諦めずに努力できる人、人のために努力できる人になりたいと思った。

前に述べたように、ぼくは人と話すのが苦手だ。そして、自ら進んで人と関わろうとしてこなかった。しかし、何かを成しとげるには、周りの人の協力が必要で、その協力を得るには、自分も周りの人のために協力したり努力したりできなければいけない。自分の夢を叶えるには、自分の利益だけを考えてはだめだとわかった。これは、関根三郎と加屋淳平の二人から学んだことだ。

また、この本を読んでさらに感じたことは、自分はもっと勉強しなければいけないということだ。三郎は、外交官になるという夢をもち高等学校への進学を目指したが、村を守るのに諦めざるを得なかった。つまり、勉強がしたくてもできなかったということだ。ぼくは、毎日学校へ行って勉強するが、正直面倒だなと感じるときがある。でも、勉強を諦めなければならなかった三郎のことを考えると、ぼくの今の生活は幸せなんだなと感じた。ぼくは、自由に勉強のできる環境にいる。それをありがたく思って、面倒だななどと思わずに、勉強をしなければいけないなと思った。ぼくは将来何を目指したいかはまだわからない。けれど、どんな職業に就いたとしても、人のために努力できるような、人の役に立てるような人間になりたい。

今では、大煙突は半分に折れてしまった。しかし、自分の町のこの「大煙突」が誇らしく思える。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

豊浦中学校 肥田 志音

 

「昔、あの高い煙突は、日立のシンボルだったんだよ。」と、祖母が言った。また、亡くなった祖父が同じ本を持っていたと知り、少しだけ読んでみよう。日立の歴史を少しでも調べてみよう。祖母のこの一言をきっかけに、興味を持ち本を読み始めた。

いつも車で通っている神峰山、車の窓から見える大煙突、御岩神社など、さまざまな歴史があったと言う事にまずは驚いた。今でいうと自然環境問題、地域住民と会社との長期による話し合いが、自分が生まれる前にあったなんて、とても不思議な感じがした。

特に、今は、緑の山々や、桜の花がきれいな日立の町なのに、昔は煙突から黄色い煙が出て煙害が起こっていたこと。作物や所有林に被害が出て村の農民達が困っていたこと。関根三郎さんとオールセンが共に、被害を広めないよう、色々なアイディアを出し、何回も失敗しながら農民のために一生懸命頑張った事がすごい事だと思った。オールセンが国に帰った後も、農民の為に会社との間に入り、交渉を進めていった事はなかなか出来ない事だ。なぜなら、自分もサッカーをやっていて思う時がある。例えば、コーチと監督の考えが違う事もあり、監督が言った事に対して納得出来ない人がでてきたりすると、自分がキャプテンとして間に入り、相手が思っている事を監督やコーチに伝えたりする事がある。両方の間に入って話し合いを持つ所が、三郎さんと似ていると思った。自分なら正面切って立ち向かう事がうまくできるだろうか。三郎さんのように「人間としてあたりまえ」という考えを持ち、皆を応援していけるだろうか。と自分におきかえて考えてみるきっかけとなった。

煙害に対しても考えさせられた。今の時代は、作物が煙の被害でつくれなくなる事がないので、読んだ時はとても驚いた。また、川遊びも今は水がきれいなので、自然と水の中に入って遊ぶ事が出来るが、昔は汚れがひどく簡単に川には入れなかった事に驚いた。煙の影響がひどく、外に出られない日があったなんて今は、何でも出来て良い時代だと改めて思った。昔の人が、大変な思いをしたからこそ、今の平和な時代があるのだと感じた。煙害から守ってくれなければ、今の生活は出来ていないと考えられ、日立の町の緑やきれいな桜の花なども、見られなかったと思うので、関根三郎さんや高い煙突を考えて設計し作り上げた人達に感謝したいと思った。

毎日テレビで見ている天気予報も、実は煙の行方を調査するために日立はこの時代から神峰山に気象観測所を作っていたなんてとても画期的だ。煙突の高さは、神峰山の高さを考え煙の方向を観察しながら作りあげたこともとても画期的だ。平和通りの桜の花も煙害に強い樹木を選んでいたなんて環境破壊の事を農民達も一丸となって考え成し遂げてくれたなんて、同じ日立市民として嬉しい気持ちと誇りに思った。

これからも、この本から学んだ人間模様や、自然環境の事を忘れずに頭に入れておき、将来も公害のない世界を自分達が守り、作っていかなければならない。そして、日本だけでなく、世界の環境問題にも目を向け、自分に出来る事は何だろうかと考え、考えたことを少しでも行動に移していきたい。

祖父も生前はこの本を読んでいたのだろうか。昔から、引き継がれてきた話を読み日立の歴史が今まで以上に身近な物となったのでこれから、郷土史や記念館など、歴史にふれられる場所に出かけ、日立の歴史を勉強し、日立をもっと好きになっていきたいと思った。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

豊浦中学校 髙﨑 桃佳

 

まず、この話を紹介します。この話は、明治時代の頃の日立が舞台です。そこの鉱山から出る煙害問題を一人の青年と敵であった一つの企業が手を組んで大煙突を作り問題を解決するというノンフィクションの話です。

私は、この本を読んで一番印象に残ったのは、この話の主人公である三郎の人物像です。それは三つあります。

一つ目は、村への責任感が強いところです。この話の中で祖父が亡くなる頃にやってきた問題が煙害でした。三郎は、その頃の時代では裕福な家庭でしかいけなかった高校に受かっていたのにもかかわらず、高校進学をあきらめて村に貢献する姿は、とても真似できないものだと思いました。もし、自分が同じ立場だったら自分のことを優先してしまうなと考えさせられたからです。

二つ目は、行動力です。日立鉱山の煙害がまだ軽い時に煙害が日立鉱山よりもひどい四国の別子銅山や四阪島を見たいと思いすぐ行動に出たことがすばらしいなと思いました。私は、いつも学校の友達や先生、家族にも行動が遅い、自分で物事を決める事ができないと言われるのでこの話の中の三郎さんのように自分で考え動き、人のためにつくせるような人になりたいなと思いました。

三つ目は、誰よりも多くのことに関心を持ち先の事を考えてよみ、間違えることを恐れず自分の考えを信じて考えを通していく力に感動しました。三郎は、村の人達の胸の内の声を大にして大煙突を会社側に作ろうと発言し、この大きなプロジェクトの第一人者となった。高い煙突を作っても何も意味がもないと言われてもあきらめず、大煙突を作ろうと押していた姿は、私の目にはすごく輝かしく映ったからです。私は、三郎のように自分の意見に自身を持てず、間違いや失敗を恐れてあまり授業の時間や学級会の場で上手く自分の言いたいことが言えなかった。だが、三郎の自分を信じて突き進む姿を見て、自分も失敗や間違いを恐れずこれからは、自信を持っていっぱい発表したいです。

この本を読んで見て私は、三郎の人物像をとらえることによって、自分を見つめ直す時間ができ、これからの自分を発見することができた。それは、文章中に出てきた

『責任感』

『行動力』

『自分を信じる力』

です。

私も来年は、三年生になります。受験や進路や将来について本気で考えて自分で決めなければならない学年になります。この本に出会えて三郎さんの勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)に出会えて今までの考え方を見直して一日一日を大事に生活をしていきたいと思います。また、今まで以上に心を強くして今までの弱い心に「さよなら」をつげていきたいと思います。

 

 

 

■審査委員特別賞

 

  「「ある町の高い煙突」を読んで」

豊浦中学校 小野間 花菜子

 

日立市が、かつて栄える原点となった、日立鉱山の歴史にまつわる話を読んでいくうちに、去年の学校行事の体験を思い出しました。

五月の「心豊かな体験学習。」

豊中をスタートして、十王の山から神峰山にある「きららの里」まで山道を歩き続けるという、少しつらい体験でした。

でも一人じゃなく、先生や友達と一緒に歩いたので乗りこえることができました。

この話を書いた新田次郎という作家は、山をテーマにした小説を多く残しました。自分で山に登って取材をしながら小説を書いたということです。あとがきにも神峰山に登ったと書いてあります。

私たちが宿泊した「きららの里」の近くに日立鉱山の歴史がつまった「日鉱記念館」があります。ここは小学6年生のときの体験学習で訪れたなつかしい場所でもあります。

日立鉱山の鉱石は日立製作所や日産自動車が生まれる原点となり、日立に繁栄をもたらした貴重な資源でした。

しかし、同時に汚染水と有毒ガスを含む排煙による公害問題の歴史が生まれました。

現在の原発問題ですが、資源を失ってしまった日本がたよった原子力と、その発電所から発生した放射能もれの大きな被害。

富と繁栄がもたらす負の遺産。どちらも似ているなと思いました。日なたと日かげみたいに、栄光の裏には暗いやみが存在しています。

この物語に書いてある煙害問題を読んでいると、東日本大震災で起きた福島第一原発の汚染問題が頭に浮んできてしまうのです。

震災の時、私は小学校入学をまぢかにした6才でしたが、町も家も大きな被害を受けてひなん所に4日間もいるという、つらい体験でした。

福島原発の汚染問題は、茨城県を含め日本がかかえている大きな問題です。

本の題名に出てくる高い煙突とは日立の大煙突のことですが、煙突が誕生したことで物語はいい結末をむかえます。

被害を受けた住民側と鉱山側の企業が、問題を解決するために努力をし続けた結果のシンボル。

歴史はくり返すと言いますが、現在の福島原発を代表する東京電力と地元住民の方たちも、日立鉱山と住民を代表する三郎のようにいい結末をむかえてほしいと、心から願います。福島に近い茨城県をはじめ、日本の国民が解決を夢見る大きな願いだと思います。

「あとがき」で作者が取材のために日立を訪れ、神峰の山に登ったことが書いてあります。私たちが歩いて見た一本杉や御岩神社などの観光スポットを、作者も見たかもしれません。この原作を元に、来年映画が上映されるみたいなので楽しみです。

平成5年に崩れてしまった大煙突の、当時の姿と私たちの住む日立の、なつかしい時代が見てみたいです。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「わたしの町の高い煙突」

久慈中学校 坂元 美結

 

みなさんは、茨城県、日立市といえば、何を思い浮かべるだろうか。かみね公園や、奥日立きららの里など、良いところはたくさんあるが、私は、一番に日立鉱山の大煙突を思い浮かべるだろう。そう思うようになったのは、「ある町の高い煙突」という本を読んでからである。この本の内容は、急激に発達した日立鉱山の煙害に悩まされる農民と、鉱山側とが何度も相談して忍耐強く交渉をした結果、見事に、煙害問題に打ち勝つという、奇跡の実話の物語だ。では、煙害という難問題が解決にいたるまでの話を、もう少し詳しく掘り下げていこう。

煙害問題に悩んでいた村の農民と村の環境を救った大煙突ができるまでには、二度の大きな失敗があった。それは、神峰煙道という煙道と、命令煙突という煙突の存在であった。この二つとも、完成はしたものの、煙害の被害はまったく変わらず、むしろ、一つの場所を集中的に流れ、農民や自然環境を困らせたものであった。それでも私は、この煙突、煙道がないと、大煙突はできずにいたのではないかと思う。二度の失敗をふまえて改善し、次の設立につなげられたのではないだろうか。

そして、この本で一番心に響いた言葉は、「勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)」という言葉だ。この本の主人公・三郎がもっとも信頼していた外国人の鉱山の技師、チャールス・オールセンの言葉であり、この言葉があったからこそ、三郎は、忍耐強く交渉をし、勇気を出して、三度目の挑戦、大煙突を製造してもらえないかを交渉しに行けたのだろう。そして、私自身も、この本を読んで勇気と忍耐力があれば、どんな困難も、いつかは越えられるという希望をもらった。

また、三郎の村を思う気持ちに感動した。進学を諦めてまで、常に村の農民や、環境の事を一番に考えて行動する真面目なところから、若くして村の信頼を集めることができたのだろう。私も人のために尽くすことのできる人間になりたい。

ところで、みなさんは、日鉱記念館という建物をご存知だろうか。日鉱記念館は、日立鉱山の様々な活躍をたたえて創られた。主に日立鉱山は、どのような活動をしていたのかを知ることができる資料館だ。前にも何度か行ったことがあったが、この本を読んで、改めて、もう一度行きたいと思った。色々な角度から、展示物を楽しめるだろう。

最後に、私は、日立市に煙突があることは知っていたが、なぜあるのか、何のためにあるのかその理由をよく知らなかった。でも、「ある町の高い煙突」を読んで、日立の活躍と、鉱山から出る煙が、村の人々と環境に害を与えないために創られたことを知った。現在、その大煙突は、折れて小さくなってしまったが、今でも目に見える形で、しっかりとそこに残されている。更に、この大煙突は、当時、日本で初の日本人設計、そして日本人の指導の下に完成された煙突であることを、誇らしく思いながら、今でも残る歴史を大切にしていきたい。

 

 

■審査委員特別賞

 

  「日立の象徴」

駒王中学校 佐久間 美羽

 

煙害とは、工場から出る有害な煙によって農作物がかれるなどの被害をおよぼす公害である。明治時代には、近代的な工業の発達にともなって公害問題も発生した。四大公害のうちの四日市ぜんそくは、工場の煙が原因だ。

日本各地の鉱山では、煙による被害があちこちで見られた。そんな中、公害問題の原点となったのは「足尾銅山鉱毒事件」だろう。栃木県の衆議院議員の田中正造が、議会で政府を追及するなど、損害賠償や銅山の操業停止を求める運動が盛んになった。被害を受けた住民が警察などと衝突する事件も起こった。被害は少しずつ改善されたが、当時の技術的限界から煙害は十分に解決されなかった。

人ごとのような話だが、日立にも昔煙害問題があったのだ。その、煙害発生から解決にいたるまでを語った、新田次郎著『ある町の高い煙突』には、感動的な話が描かれていた。

日立鉱山の採掘が始まった当時、ほとんとの人々は煙害の心配をしていなかった。しかし、鉱山で働いていた外国人技師のチャールス・オールセンはひどい被害になることを予想していた。村の青年の関根三郎に彼はこのことを話した。そして煙害を解決するためには「勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)」を持つことだと言った。この言葉が煙害解決の第一歩になったのだろう。

「勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)」があったから三郎は、農民は、力強く交渉に行けたのだろう。そのおかげで企業も対策を打った。何回かの失敗の上でたどりついたのが「大煙突」を作る案だ。あの、「日立の大煙突」だ。しかし、それには企業の存亡がかかるほどの膨大な資金が必要になるものだった。だが、企業は大煙突を造った。私は、普通の人はこんなおもいきったことはできないと思う。まさに「勇気(カリッジ)」が必要だ。企業は政府に命令されたのではなく、煙で害を与えている側の責任として行動したのだ。この誠意ある行動は誰もが見ならうべきだ。三郎も大煙突が完成して煙害がなくなることを願った。農民にも「きっと成功する」と話し、待った。「忍耐(ペイシャンス)」強く。そして完成した。この煙突は日本にある煙突で、当時唯一日本人だけで造られたものだ。煙突のおかげで煙害を減らすことに成功した。ゼロになったわけではないが激減した。企業と農民、そして三郎の願いがついにかなったのだ。あの有名な大煙突はこのような苦労とともに完成したのだ。

この本で日立であった煙害をくわしく知った。もちろん知らなかったわけではないが、こんなに壮絶なドラマがあるとは思わなかった。日立が足尾での悲劇を繰り返さずに済んだのは、この大煙突があるおかげだろう。人々の誠実さ、そして「勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)」がつまった「日立の大煙突」はこの日立市の象徴にふさわしいものだと思う。この先、便利だと思っていたものが有害なものだと分かるかもしれない。もしかしたら、もっと大変な問題がたくさん起こるかもしれない。その中で、企業と農民が互いに誠意を持って煙害を解決していったみたいに、たくさんの問題を解決していくべきだ。これから私たちは、誠実で「勇気と忍耐」を持っているような社会をつくっていける大人になるべきではないだろうか。

 


作品紹介【感想画】

 

■市長賞

久慈中学校 石井 樹里

市長賞

 

■議長賞

久慈中学校 額賀 成世

議長賞 

 

■教育長賞

台原中学校 芳賀 陽向

教育長賞


作品紹介【キャッチコピー】

 

■市長賞 

多賀中学校 小野 礼樹

 

青年は目をそむけなかった。

勇気と忍耐、

その先に築き上げたものとは…?

 

 

■議長賞

十王中学校 中田 泰成

 

中学三年生三郎と異人との出会い。

企業の発展と煙害。

青年の勇気が走り出す。

 

 

■教育長賞

滑川中学校 遠藤 結弥

 

僕達の住む日立の町。

世界一の大煙突の裏側には、

企業と村人たちとのドラマがあった。

 

 

■茨城新聞社賞

多賀中学校 鈴木 香帆

 

知っていましたか?

日立の煙害を解決するために

17歳の少年が自分の人生を捧げたことを

 

 

■文藝春秋賞

助川中学校 渡邊 暖

 

日立にある「大煙突」

—それは、煙害を無くす、最後の手段だった。

 

 

■監督賞

助川中学校 金田 虎汰郎

 

煙突よりも高い誇りと

煙突よりも大きな愛を持って

戦った人たちの実話

 

 

■関根三郎賞

十王中学校 鈴木 想奈

 

世界一高かった大煙突

住民との共存を目指し

煙害撲滅を粘り強く訴えた若者の感動の実話

 

 

■加屋千穂賞

平沢中学校 大貫 るな

 

日立のシンボル「大煙突」。

故郷を守った世界一高い煙突の物語!

 

 

■審査委員特別賞

坂本中学校 後藤 煌貴

 

ある青年と外国人技師の出会いが

煙害による暗き道を照らし出す。

町を救う若き英雄の物語。

 

 

■審査委員特別賞

十王中学校 福士 詠美

 

日立市の大煙突が建てられた

理由が分かる!

<勇気と忍耐>をテーマにした物語!

 

 

■審査委員特別賞

久慈中学校 早川 果佑

 

今の日立市があるのは

あの「大煙突」のおかげかもしれない・・・。

 

 

■審査委員特別賞

助川中学校 廣瀬 由茉

 

「大煙突」の誕生と

奮闘した人々の

CSRの原点を描いた奇跡の実話。

 

 

■審査委員特別賞

久慈中学校 坂元 美結

 

村全体が一丸となり、

乗り越えてきた煙害問題。

そこには、深いストーリーがあった。

 

 

■審査委員特別賞

多賀中学校 江川 晋平

 

世界にほこる日立製作所の過去には

苦労と努力があった

―高い煙突が鍵を握る!!

 

受賞者写真