八幡太郎義家伝説

【八幡太郎義家伝説】
義家1

日立市の各所には、平安時代後期に活躍し、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる「八幡太郎義家」こと源義家にまつわる伝説が数多く残っています。
中でも市内各地に点在する“奇岩”は、義家が勇猛な武将であったことを後世に物語っています。
奇岩の一つに「太刀割石」があります。この岩は市内で最も標高の高い堅破山(標高658 m)にあります。堅破山は大昔から神の山として崇められており、常陸国風土記に登場する黒坂命が凱旋途中で病に倒れた地、義家が奥州征伐へ向かう時に戦勝祈願した地と伝えられています。伝説では「義家が奥州征伐に向かう途中に黒前山(現在の堅破山)に登り、黒前神社に戦勝を祈願しました。その夜、義家は気高い老人から大太刀を授かる夢を見て、目を覚まし枕元を見ると、夢のなかで老人から授かった太刀が置いてありました。その太刀を手に取り、目の前にあった大石めがけて太刀を振り下ろしたところ、その大石は真っ二つに割れ、片方は転がり、もう片方は大地にめり込んだ」と伝えられています。後に、この地を訪れ、太刀割石を見た水戸藩第2代藩主徳川光圀は「最も奇なり」と驚いたと言われています。
このほかにも、太刀で割ったと伝えられる「手割石」や石に弓矢を射かけて真っ二つに割ったという「矢筈石」など、義家の勇猛さを現在に伝える不思議な石が眠っています。

義家2
義家が堅破山に参拝したときに被っていた烏帽子にちなんで命名された「烏帽子石」です。このほかにも、義家が腰を休めた「畳石」、義家の手形に似た「手形石」など、堅破山では義家にまつわる数多くの奇岩を見ることができます。
義家3
義家が奥州征伐に向かう道中、道の真ん中にあった邪魔な石を太刀で割ったと伝えられている「手割石」。現在は、南高野町にある鹿島神社境内にあります。義家4
義家が奥州征伐に向かった折、弓矢を射かけて真っ二つに割ったとされる「矢筈石」、別名「弓弦の石」とも言います。石が二つに割れている形が弓を張る矢筈に似ていることに由来します。この石は、折笠町にある折笠スポーツ広場の入り口に鎮座しています。

【基本情報】

【所在地】 ・太刀割石:日立市十王町黒坂地内
・烏帽子石: 〃
・手割石 :日立市南高野町地内(南高野鹿島神社境内)
・矢筈石 :日立市折笠町987-1
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