賀毗禮の高峰

【賀毗禮の高峰】
高峰1

「賀毗禮の高峰」は、現在の御岩山の古称であり、奈良時代に編纂された常陸国風土記の久慈郡薩都の里の条にも記述が残っていることから、古代より人々の信仰の聖地であったことがうかがえます。
その条には、「薩都(常陸太田市里野宮)からみて、東の大きな山を『賀毗禮の高峰』と呼んでいる」とあります。「この地に立速日男命(たちはやひおのみこと)という神が降り立ったが、村人が大小便を行ったことにお怒りになり、村に災いや病をもたらした。村人はありのままを天皇(すめらみこと)に伝えたところ、天皇は片岡の大連(おおむらじ)を派遣した。片岡の大連はこの神を敬い祀り、『どうかここを避けて、高い山の清浄なところに鎮まってください』と祈ったところ、立速日男命は聞き入れて、賀毗禮の峰に登った」という話が伝えられています。
御岩山が、その長い歴史の中で最も興隆した時代は江戸時代であり、1630(寛永7)年、水戸藩初代藩主徳川頼房が御岩山を含め周辺地域に出羽三山を分霊するなど、水戸藩の篤い守護を受け、国峰と位置付けられました。
この時代は、多くの山伏たちが御岩山に入峰※し修験道が栄え、当時の入四間町は門前町として賑わいました。
現在、御岩山のふもとにある御岩神社は、古代信仰や神仏混淆を色濃く残す神社として、独自の文化・信仰を伝えています。
近年は全国有数のパワースポットとして注目が集まっており、多くの参拝客で賑わっています。
※「入峰」とは修験者が修行のために山岳の霊場などに入ること高峰2
表参道を登った先に見えてくるのが「賀毘禮神宮」。水戸黄門として知られる水戸藩第2代藩主徳川光圀は、「大日本史」を編纂するにあたり、ここで「筆初めの儀」を執り行い、特にこの社を信仰したといいます。高峰3
御岩神社の御神木である「三本杉(天狗杉)」。根回り10.4 m、幹回り8.4m、樹高は約61.3 mあり、樹齢は600年以上といわれています。この杉には天狗が住み、罪多き人々を境内へ通さないようにし、村人達より畏れられていたと伝えられています。高峰4
御岩神社の創建の時期は不明とされていますが、常陸国風土記に記述があることや、縄文時代晩期の祭祀遺跡が発掘されていることから、古来より人々は御岩山を崇め、信仰がこの地に根付いていたと考えられます。

【基本情報】

【所在地】 日立市入四間町752(御岩神社 0294-21-8445)
【「ひたち物語~ひたちらしさの数々~“ひたちのミステリー”」該当ページ】 賀毗禮の高峰
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